2010年09月05日
パンキーインスティテュートの思い出 スティーブのこと
 1997年に初めて、パンキーインスティテュートに行って以来、インスティテュートからPankeygramという機関誌が定期的に届くようになり、楽しみの一つになっていた。そうはいってもそれほど英語力がある訳ではないので、興味のある記事があれば、辞書を片手に読み進めると言った具合であった。
 ある日、診療所の郵便受けにPankeygramの2月号が入っていたので、診療所の前のホテルの喫茶室で紙面を読むともなく見ていた。するとComplete Care-High Impactという記事が目に入った 。この記事には、診療計画について話し合い、その契約を結ぶ段になって診療計画を受け入れてくれるものとばかり思っていた患者さんが診療所を去ってしまったという事が書かれていた.それは自分がよくしていた経験であり、とても共感を持って読み進めた。その後何日かしてから患者さんからの手紙が届き、そこには、自分はまだ診療を受けようか迷っている.何かアドバイスがあれば教えてほしいというような事が書かれていた。そして患者さんとの信頼関係が充分築けていたので、患者さんは再び彼の診療所を訪れ、すべての治療計画を完了する事が出来たという風に結ばれていた。
 この記事には非常に衝撃を受けたが、それはSteve Ratcliffというパンキーの外部講師によって書かれたものであった。彼の事に興味を持った私は、それ以前に届いていたPankeygramを読み返し、スティーブの書いた記事を探した。彼は何点かの記事をPankeygramに寄稿していたが、共通している事は、はじめに上手く行かない事があって、それをパンキーインスティテュートでの研修で克服していったというにようなスタイルをとっている事だった。
 2001年のある日、パンキーインスティテュートの主任教授であったDr.Beckerにスティーブを、外部講師として呼んでほしいというメールを送った事があった。その後しばらくして返信があり、そこには、2002年のコースに講師として彼を呼ぶようになっていると書かれていた。
 つづく

 
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