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2010.09.0508:43
1997年に初めて、パンキーインスティテュートに行って以来、インスティテュートからPankeygramという機関誌が定期的に届くようになり、楽しみの一つになっていた。そうはいってもそれほど英語力がある訳ではないので、興味のある記事があれば、辞書を片手に読み進めると言った具合であった。
ある日、診療所の郵便受けにPankeygramの2月号が入っていたので、診療所の前のホテルの喫茶室で紙面を読むともなく見ていた。するとComplete Care-High Impactという記事が目に入った 。この記事には、診療計画について話し合い、その契約を結ぶ段になって診療計画を受け入れてくれるものとばかり思っていた患者さんが診療所を去ってしまったという事が書かれていた.それは自分がよくしていた経験であり、とても共感を持って読み進めた。その後何日かしてから患者さんからの手紙が届き、そこには、自分はまだ診療を受けようか迷っている.何かアドバイスがあれば教えてほしいというような事が書かれていた。そして患者さんとの信頼関係が充分築けていたので、患者さんは再び彼の診療所を訪れ、すべての治療計画を完了する事が出来たという風に結ばれていた。 この記事には非常に衝撃を受けたが、それはSteve Ratcliffというパンキーの外部講師によって書かれたものであった。彼の事に興味を持った私は、それ以前に届いていたPankeygramを読み返し、スティーブの書いた記事を探した。彼は何点かの記事をPankeygramに寄稿していたが、共通している事は、はじめに上手く行かない事があって、それをパンキーインスティテュートでの研修で克服していったというにようなスタイルをとっている事だった。 2001年のある日、パンキーインスティテュートの主任教授であったDr.Beckerにスティーブを、外部講師として呼んでほしいというメールを送った事があった。その後しばらくして返信があり、そこには、2002年のコースに講師として彼を呼ぶようになっていると書かれていた。 つづく 2010.08.3005:43
8月29日、日曜日
先日市内のホテルにコーヒーを飲みにいった時の事。ホテルのお土産コーナーに、サイトウキネンフェスティバル関連で、ミニチュアの楽器がおいてあった。 そのお土産コーナーには、高校時代の同学年の友人が品物を納入しているので、彼の店で買おうと出かけていった。残念な事にホテルにおいてあった品は他の業者が納めていたもので、目当てのものはなかったが、しばらく彼の店でコーヒーをごちそうになりながら世間話をして時を過ごした。 彼は松本城に関連した仕事もしているのだが、最近は中国人の観光客が多いと言う。暑いので、仕事の合間に城内にある水道の蛇口から直接水を飲んでいると、中国人の観光客は皆びっくりして見ていると話してくれた。 彼が言うには、水道の水が飲めるのは日本の他にはハワイやスイスなどごく一部の地域だけに限られているので、水道水を直接飲んでいる風景はすごく珍しいらしい。 彼の話を聞いていて、松下幸之助の水道哲学の事をふと思った。多くの世帯が水道料金を払っているように、水道水にも対価がある。しかし、道行く人が、道端にある水道水を無断で飲んだとて咎める人もいない.その何気ない光景を見て、後に松下電器の経営指針ともなる水道哲学を思いついたのである。 また、鈴木メソードを確立した鈴木慎一先生は、あるとき外国で小さな子が母国語(鈴木先生にとっては外国語)を当たり前のように話す姿を見て、幼児教育の素晴らしさと大切さに気づかれたと言う。 ニュートンがリンゴが木から落ちるのを見て万有引力を発見したように、天才とは日常のありふれた光景から、素晴らしい発見をするものである。 もとよりそのような天才たちの足元にも及ばない私ではあるが、身の回りに起きている事で、患者さんにもっと貢献出来る事ヒントが何か隠されていないか?今日はその事を頭の片隅において一日を過ごしてみよう。 2010.08.2707:44
Dr.パンキーから学んだ先生の一人に、バークレー先生がいた。
先生はミシシッピー州の片田舎で開業していたのだが、いろいろな研修会に出席し、歯科医学を学んでいくうちにだんだんと患者さんの口の中の不具合が見えてきて、治療費が増えていった。そして自分がより良い歯科治療を行いたいという気持ちから、その治療費を受け入れてもらえる患者さんだけの治療をしていたのだが、高校時代の同級生からの不満が酒場でのうわさ話に上ったと言う。 ある日、高校時代のチアリーダーの一人が先生の診療所を訪れた。先生は彼女の家庭の事情もよく知っていたので、最低限の歯科治療の見積りをしたのだが、それでも彼女にとっての負担は大きく次回の予約には現れなかったと言う。そして、その後彼女が再び先生の診療所を訪れた時は、その口の中は惨憺たるものになっていた。 その事に先生は大変なショックを受け、自分の診療についての見直しを行っていったのである。(ただし、それは自由診療の否定ではない) 現在の国民皆保険の日本においては、患者さんはすべてが保険で治療ができると思っており、それを期待し来院される。しかし、保険とは国の社会保障の一つであり、これは医療とは本来分けて考えなければならない。 残念な事に現在の社会保障下では充分な歯科医療を患者さんに行う事に限界があるのだ。その事を患者さんに理解してもらうよう今日も努力をしていかなくてはならない。そのためには自分が充分患者さんからの信頼を得られるような歯科医になるよう常に努力していかなくてなならない。 2010.08.2406:52
朝4時近くに魚津を出発.まだ薄暗い。確実に日が短くなっている事を感じる。
ずっと前に北陸自動車道を通った時には一部対面交通のところがあったが、現在ではそのようなところはない.昨日の日中もさほど交通量が多いとは思わなかったが、早朝の高速ではほとんど車が走っておらず、30分くらいで糸魚川へ。ここで高速をおり、山道を行く。山の中のせいか本当に明るくなったのは5時近く。トンネルも多く、車の通りも少ないので少し気味が悪いが、かなりのスピードが出せる。 途中便意を感じたので、姫川の道路端に設置されていた公衆トイレに入る。山の中で、コンビニもないためだろうか、このような場所に公衆トイレがある事はありがたい。中はよく清掃されており、紙も常備されていて、本当に日本という国はいい国だと思う。ただ観光地のトイレによくありがちな落書きが多いのが利用者のマナーの悪さを示していて残念だ。 白馬に入った頃から霧が立ちこめてきて、青木湖あたりで少し晴れてきた。小谷と白馬に道の駅があり、日曜日は両方ともかなりにぎわっていたが、月曜の朝も何台も車が止めてある。車中泊しているのだろうか? 早く自宅に戻るために豊科から高速に乗る。家には6時半少し前に着いた。次回は、もう少しゆったりと帰ってこようと思った。 ところでこのお水取りの儀式は、以前に私の弟が勤めていた診療所のスタッフの方から教わったものである。その方は診療所をやめ、原宿の占いの館で自分のコーナーを一時期持っていた事がある。もう20年近くお世話になっている。 私は元々出不精なので、あまり外出をしない方なのだが、このお水取りのおかげで、見知らぬ多くの地を訪れる事ができた。遠くは盛岡まで行った事があるし、また忍野八海という景勝地を知る事もできた。本当に貴重な経験を積む事ができたし、またこれからも積む事ができるであろう。 ![]() 2010.08.2318:13
日曜日の午後1時半過ぎに家を出た。特に大町に入るまでは、ゆっくり走る車が多かった事と、またガラス工房のところの二叉路を右に行かなくてはいけないところをジャンセン美術館の方に行ってしまい時間がかかった。
途中穂高のあたりは日曜という事もあり、観光客が多くにぎわっていた。何件かしゃれたレストランや蕎麦処があり、一度訪ねてみたいと思った。 途中トイレ休憩をかね、一度コンビニに立ち寄っただけであったが魚津に着いたのは4時半を過ぎていた。まあお水をとるのだけが目的であれば、これで良かったかもしれないが、次回もう一度魚津に行く際は、途中の親知らずによったり、また魚津の水族館をみたり、海を見ながらボーッとしていたりと、もっとゆったりした計画を立ててみたい。 それでも30分ばかり海を見ながら時を過ごした後、5時を少し回ってからホテルにチェックインをし、7時過ぎに駅前のわき水でお水取りをした後、車で金太郎温泉に向かった。温泉につかってから、駅前に引き返して、食事をかねて以前に行った事がある、源助という居酒屋に行った。風呂上がりで、かなり汗をかいた事もあり、生ビールの一杯目を、あっという間に飲み干し、二杯目を注文した。 つまみは最近食べていなかった、コーンバターとモツ煮込みを頼み、それから冷酒と一緒に富山の名物である白エビを頼んだ。白エビはねっとりとして甘く大変美味しかった。帰りは4時前には出発しなければならない事もあり、しめに焼きおにぎりを二個食べて、ホテルに9時半には戻り寝た。 ![]() 2010.08.2307:28
お水取りに行ってきました。ただ、今朝の3時半に魚津を出発し、6時半頃に松本に着いたばかりですので、詳細は今夜のブログで。
それにしても少し強行軍すぎたので次回はもっとゆっくりとお水取りを楽しんできたいと思っています。 ![]() 2010.08.2213:19
やる気とか元気など「気」がつく言葉はいくつかある。8月15日にパンキーインスティテュートの思い出と題し、ブログを書いたが、あの当時は本当にやる気があって、気が充実していたと書いた後に感じた。
最近パワースポットが話題になって、その地を訪ね、気をもらうというようなテレビ番組がいくつかある。パワースポットというのは特定の場所だが、気学では人に応じて、日や場所が異なる。今日はその気をいただきにいく日である。今回の場所は魚津、松本から西北の方向にある。時間は午後の7時から9時までの間。お水取りと言って、水を汲んできたり、温泉につかったりする。 そのお水取りの日、たまたま産經新聞に目に見えぬ「気」の薬効という記事が載っていた。お水取りの事等については明日のブログで。ではこれから魚津に向けて出発します。 2010.08.1515:52
1997年初めてパンキーインスティテュートに行った後、今まで以上にホリスティックデンティストリーを自分の診療の中に取り入れる事を決意し、すこしづつ患者さんの症例実績を作り始めた。
そして、2000年に再び渡米しコンティナム鵺を受講した。この時まる1日特別講義をしていただいたのが、当時マイアミ州立大学歯学部のヘンリーグレミリオン先生であった。先生には解剖、生理から始まって、口腔の機能と健康についてのお話し、またTMDの診査、診断、治療法と多岐にわたって講義をしていただいた。先生の講義は素晴らしく、参加したH.D.Aのメンバーすべてが感銘を受け、テープ起こしをして、それをまとめ、冊子を作る事になった。それは後に通訳の川横さんと古谷先生によって完成させる事ができた。(私も下記に述べるようなパワーポイントでの記録を作る過程で理解した点で多少の協力をする事ができた。) 私も個人的にとってきたビデオテープを見直しながら、ノートを取り直していたのだが、やがてパワーポイントで作った方が視覚的にも分かりやすいと感じ、カメラで撮ってきた写真や他の雑誌などの写真を使って個人的なノートブックとして作成していった。 川村先生が講義の中でよく言われたのが、歯だけを診る歯医者ではなく、口全体を診る口腔科医になれということであった。そしてまた、口腔顔面痛やTMDのことをもっと学べという事も言われた。 口腔顔面痛についての良い本が中々見つからなかったが、たまたま歯科医師会の用事で日本歯科医師会館に行った際に、時間があったので図書館で本を読む機会ができた。そしてこれも本当に偶然なのであるが、後に長野県歯科医師会長になられた、一志先生がおられて、便宜を図っていただけて、十分な時間を図書館で過ごす事ができた。そしてそのとき見つけたのが、ジェフェリーオケソン先生の書かれた、「ベルの口腔顔面痛」という本であった。 オケソン先生は、コンティナムのテキストの参考文献にも何回も紹介されていた先生で、自宅に帰るとすぐに買い求めて、繰り返し読んだ。そこには顎関節症と間違えて、すぐにスプリント療法をしてしまいそうな病気の事も書かれていたが、具体的な歯科治療の記載が少なかった。そこでもっと歯科領域に限定した本はないかと探したところ、第一出版からオケソン先生が書かれた「顎口腔機能異常と咬合のマネジメント」という書籍があることが分かり、これも購入した。そして、この2冊の本によって、私の顎関節症の診断力も向上し、またTMDの理解も深まった。そして、そのような目が養われて上で、グレミリオン先生のビデオを改めて見るとまた新しい発見があり、それをまたパワーポイントに加えていく事となった。 2010.08.1316:44
パンキーインスティテュートは、Dr.パンキーから学んだ歯科医師たちの寄付によって1972年に設立された卒後教育機関である。最初はマイアミ市内のデュポンプラザで行われていたが、1985年にキービスケーン島に専用のビルを建て移転、その後1999年に現在地にビルを建て移転し、今日に至っている。
パンキーインスティテュートのホームページに書かれているように、そのミッションは‘’Bridging the gap between what is known and what is practiced'' 「知っている事と臨床で行われる事のギャップを橋渡しをする事」である。いろいろな研修会に出席したり、専門書を読めば、それなりの知識はつく、しかしそれだけでは自分の臨床レベルを向上させられない事が多い。パンキーインスティテュートは知識と手技を自分のものにし、それによって各自の臨床レベルを向上させる事の橋渡しを目的とした教育機関である パンキーインスティテュートでの研修は日曜日にオリエンテーションが行われ、月曜日から木曜日までは8時から5時まで実習と講義が行われ、金曜日は8時から12時まで、一部実習の残りと講義、そしてまとめが行われる。またそれとは別に月曜日から木曜までの何日かが夕食が終わってからの、外部講師を囲んでの講義や質疑応答などが行われるという内容でかなりハードなものである。私はコンティナム鵯から鶤までを受講したが、鵺以降では実習の部分がだんだんと増えていった。大変であったが非常に充実した毎日を過ごせたと実感している。 2010.08.1207:17
私は1991年から川村先生のコースを受け、その医療を自分の診療所に取り入れようと努めてきた。しかし、自由診療を基本とするホリスティックデンティストリーを松本で実践していく事には多くの苦労が伴い、何度もくじけそうになった。
そんな私が、川村先生が学んだDr.Pankeyの名前を冠した、フロリダ州マイアミにあるパンキーインスティテュートに初めて行ったのは1997年の事である。 そこはDr.Pankeyの教えを継続的に学んでいくための研修機関である。そのとき受けた感銘は本当に言葉にならないくらいであった。以来2000年、2002年、2004年と渡米し学んできた。そしていろいろな先生との出会い、そして学びがあったが、まず最初にあげておかなくてはならない先生はソルトレークシティーで開業しているDr.Mark Taylorである。 パンキーインスティテュートでは常勤の講師の他に、パンキーインスティテュートで学んで、それぞれの地域で開業している歯科医が外部講師として、コースの講義を一部行うシステムをとっている。彼はそのような外部講師のひとりであった。 私たち日本人受講生は、親しみをこめて、彼の事をファーストネームで、マークと呼んでいた。先ほど紹介したようにマークもいくつかの実習を担当し、簡単な講義も行った。そのとき私はふと思ったのである。私も川村先生のコースのアシスタントとして、マークのようにできるのだろうかと。現在も川村泰雄先生のコースの一部を川村泰行先生が担当しておられるが、泰行先生のようにできるのだろうかとふと考えたとき、とても無理だと思った。 マークも泰行先生も教えられた事を実践し、自分のものにしているからできる、自分はまだその領域に達していないという事に改めて気づかされ、もう一度川村先生のコースを1から受けなおす事にしたのである。 72件中(1件〜10件を表示しています)
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